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- 以前zakkyさんがZ-Slashというdev-j系ニュースをまとめるサイトをやっていた。あれはとてもよかった。Z-Slashが最新のニュースを集めることが目的だとしたら、ここでやりたいのは過去の出来事をまとめること。Z-Slashは非常に粒度が細かかったけど、僕はこのページでは年に十件前後の出来事を扱うくらいの粒度でしか扱わない。だから僕でもたいした負担もなくできるんじゃないかと思う。
- このページは本来はOS-Wikiに作るべきである。でも、僕が作ると最初から公平なものはできないと思うので、まずはOSASK-Wiki上で作って他の人の意見をもらって直した後で、OS-Wikiにもって行きたいと思う。つまりここはたたき台。
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- 第1期の自作OSブーム
- (この時代はdev-jが存在しない。この時代はBTRON系がメイン。多分探せばこれ以前にも自作OSはいくらでもあっただろうと思う。しかし今でも配布されていてしかも和製OSといえそうなものは見つかっていない。)
- 1992年から内藤隆一氏が「BTRON386」を個人開発。ソースは公開されている。もともとNEC98向け。後にAT互換機用に。
- 1994年から「B-Free OS」の開発が始まる。ソースは公開されている。最初は「BTRON386」をベースにしていたので、派生プロジェクトだったともいえる。これはコミュニティがあった。確かnifty上で、Linuxの成功を日本でもやろう、みたいな宣言文があったような気がする。AT版のほか、NEC98版もあるかもしれない(未確認)。
- 第2期の自作OSブーム
- (第1期のブームは去り、自作OSは下火になっていた。この時代の途中からdev-jが生まれる。)
- 2000年から川合秀実を代表とするコミュニティが「OSASK」のリリースを開始。AT互換機用。最初のリリースは2000.05.01。
- 2001年からはオープンソースになる。2002年からはTOWNS版とNEC98版もリリースされた。
- たぶんK以外に誰も気にしてないと思うが、TOWNS出身者による初めての自作OSだろうと思う(2008年までの範囲では単に初めてであるばかりか唯一のものかもしれない)。
- 2000年から浪花智英氏が中心となって「EOTA」を開発&リリース。B-Freeの派生プロジェクト。オープンソース。AT互換機用。EOTAとしての最初のリリースは、2000.07.26のらしい。
- 2003年の後半から開発は滞り始めたようにみえる。
- 2002年からhigepon氏が中心のコミュニティが「Mona」のリリースを開始。オープンソース。AT互換機用。2ちゃんねる発祥の最初のOSと思われる。スレッドができたのは2002.06.18。
- 2002年からLightCone氏が中心となって「NWSOS」をリリース開始。ソース非公開。AT互換機用。最初のリリース日は2002.07.13。
- 2002年からneri氏が個人開発で「MEG-OS」をリリース開始。ソース非公開。AT互換機・NEC98用。最初のリリース日は2002.07.28。
- 一時期TOWNSにも対応し、単一ディスクによるAT/98/TOWNS自動判別対応型OSという快挙を成し遂げた。おれんじぺこ開発からは原則オープンソースになった(ところどころにソース非公開時期もあるが)。
- 2002年末にnikq氏が2ちゃんねるのどこかのスレッドにIRCのチャンネル名を書き込み、それをneri氏が見てwideサーバ内でIRCコミュニティが初めて成立。これが後に#osdev-jとなる。
- 2003年に.mjt氏が中心となってwikiプロジェクトとして「dev-j」発足。当初は「osdev-j」という名前だった。
- 2003年にdev-jからの部分派生プロジェクトとして「OS-Wiki」が発足。川合秀実とzakky氏が管理運営。
- 2004年にmuramura氏が個人開発で「ANTOS」をリリース開始。オープンソース。AT互換機用。
- (この後にもたくさんの自作OSが続く。IPLより先を何度かリリースできたものについては言及したい。またその条件に満たなくても、「和製OS」という言葉を最初に使ったThinkOSのdaisuke氏など、何かdev-j界に影響を与えた人やプロジェクトも含めたい。)
- 第2期ブームの終わり
- 2005年くらいからdev-j界は徐々に停滞してくる。OSASKはKHBIOSというサブプロジェクトに手間取ってリリースが滞り、NWSOSは開発終了、MEG-OSはおれんじぺこ開発のため中断した上に、おれんじぺこも開発終了。ということで和製OSの中ではMonaだけが活発ということになった。
- 第3期のOS自作ブーム
- 2006年に川合秀実著の「30日でできる!OS自作入門」がリリース。これで自作OSブームが起きた。後に「はりぼて友の会」も発足。
- この本はOSが個人開発でも十分にやっていけるということを証明した。むろん以前から個人開発のOS開発プロジェクトは多数存在しているのでこの本が出るまでもなくそれは立証されていたのだが、やはりLinuxのバザールスタイルのインパクトのせいか、個人開発でもやっていけるのは一部の天才だけの特権で、普通は集団で作るものだと思われていたのである。この本によりその迷信は打ち消され、コミュニティ形成・維持・作業分担・設計思想の共有にかかるコストは不要になり、プロジェクトが挫折するまでにどこまでいけるかという達成度の平均値は大いに上昇した。
- (しかしこれは弱いブームに終わり、継続的にリリースされ続けるOSプロジェクトを生み出すにはいたらなかった・・・もっとも今でも多くのプロジェクトは存続しているので将来はまだ分からないが(断続的なリリースでもよければ、評価を与えられるべきOS開発プロジェクトは多数存在する)。また2007年からは頼みの綱のMonaがMosh開発のために停滞し、ついに2002年までに誕生した古参の自作OSプロジェクトは壊滅状態になった。)
- 第4期のOS自作ブーム
- 2008年にOSASK-HBの内部リリースが始まり、OSASKがかろうじて復活。4月下旬。
- 2008年にneri氏がおれんじこぺこのリリース再開(開発としては終了フェーズで次期バージョンへ移行)。11月末。
- 2008年にNWSOSが開発再開を宣言。12月上旬。
- これで古参4大和製OSプロジェクトのうちMona以外の3つがOS開発に復帰したことになった。
こめんと欄
Last-modified: 2009-11-17 (火) 00:00:00 (JST) (319d) by k-tan