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3: 2008-12-11 (木) 06:58:06 ソース 4: 2008-12-11 (木) 14:38:34 ソース
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--今原修一郎氏(ODP氏)がOSASK計画に自発的に参加。すぐに主力開発者の一員に。 --今原修一郎氏(ODP氏)がOSASK計画に自発的に参加。すぐに主力開発者の一員に。
---今原氏はその後も長くOSASK界で活躍。特にASKAの提供とOSASK-IRCのサーバ提供は特筆に値する。TOWNS出身。 ---今原氏はその後も長くOSASK界で活躍。特にASKAの提供とOSASK-IRCのサーバ提供は特筆に値する。TOWNS出身。
---今にして思えば、今原氏の突然の参加でOSASK計画は1年は開発期間が短縮できていると思う。しかしあの状況(=ほとんど何も分からない状況、評価の材料はV98くらいなもの)でいきなり参加したいと申し出るとは、本当に奇跡的だった。+--今にして思えば、今原氏の突然の参加でOSASK計画は1年は開発期間が短縮できていると思う。しかしあの状況(=ほとんど何も分からない状況、評価の材料はV98くらいなもの)でいきなり参加したいと申し出るとは、本当に''奇跡的''だった。
-1997年: -1997年:
---OSASK-MLの元になった一連のメールのやり取りが始まり、やがてOSASK-MLが始まる。ただしこの時点では非公開。 +--OSASK-MLの元になった一連のメールのやり取りが始まり、やがてOSASK-MLが始まる。ただしこの時点では非公開。このメールのやり取りから設計思想の説明や設計そのものが始まった。 
---09.01(??)にOSASKの前身となるOTASKの開発を開始。これは公開されなかった。TOWNS版しかなかった。主に実験・研究用。 +--09.01(??)にOSASKの前身となるOTASKの開発を開始。これは公開されなかった。TOWNS版しかなかった。主に実験・研究用。このソースはほとんどOSASKには引き継がれていないが、アルゴリズムが生かされたものはあった(ような気がする)。 
---この年は水面下ではあれこれやっているものの、あまり目覚しい成果はない。+---おっと資料を断片的に発見。それによるとOTASKのAT版というものも存在した。そういえばそういうものを作った記憶もある。これは自分のホームページでバイナリだけ公開した記憶もある。コンソールベースのへっぽこシェルとかへなへな入力モードとか、beep音で音楽を鳴らしたり、AKSAが使えたりと、何かいろいろと実験していた記憶がある。いつからAT互換機版を出したのか、それはまだ分からない。 
 +//--この年は水面下ではあれこれやっているものの、あまり目覚しい成果はない。
-1998年: -1998年:
--今のところ特筆すべきことなし。 --今のところ特筆すべきことなし。
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--10.28(日)にSlash Dot Japanではじめて言及された。確かEOTAの記事の中のだったと思う。 --10.28(日)にSlash Dot Japanではじめて言及された。確かEOTAの記事の中のだったと思う。
---これをみてhideyosi氏やnisi氏がコミュニティに参加。hideyosi氏は後にOSASK-MLの管理やマスコットのデザイン、OSASK-Wikiの管理など数多くの貢献をした。nisi氏はOSASK界にwikiをもたらし、これがdev-j界全体にwikiを普及させるきっかけとなる。またバナーの作成や、メールマガジンの発行などでも貢献。またnisi氏つながりでrireさんもコミュニティに参加。おそらく初の女性メンバー。これはdev-j全体で見ても極めてまれなこと。 ---これをみてhideyosi氏やnisi氏がコミュニティに参加。hideyosi氏は後にOSASK-MLの管理やマスコットのデザイン、OSASK-Wikiの管理など数多くの貢献をした。nisi氏はOSASK界にwikiをもたらし、これがdev-j界全体にwikiを普及させるきっかけとなる。またバナーの作成や、メールマガジンの発行などでも貢献。またnisi氏つながりでrireさんもコミュニティに参加。おそらく初の女性メンバー。これはdev-j全体で見ても極めてまれなこと。
---この年はあちこちでOSASKが言及されるようになった年である。当然批判もたくさんあった。・・・思い返してみれば、そもそも僕は無知で無謀で楽天的だった。つまりOSを作ることがどれほど大変で、先人たちがどのくらい苦労しているかなんて全然知らなかった。しかも不遜だったので、それを指摘されても調べる気もなかった。・・・全部過去形で書いているが、今だって相変わらず無知で無謀で楽天的で不遜である。そうでなければ独自性のあるOSの自作なんて続けられるわけがない(笑)。+--この年はあちこちでOSASKが言及されるようになった年である。当然批判もたくさんあった。・・・思い返してみれば、そもそも僕は''無知で無謀で楽天的''だった。つまりOSを作ることがどれほど大変で、先人たちがどのくらい苦労しているかなんて全然知らなかった。しかも''不遜''だったので、それを指摘されても調べる気もなかった。・・・全部過去形で書いているが、今だって相変わらず無知で無謀で楽天的で不遜である。そうでなければ独自性のあるOSの自作なんて続けられるわけがない(笑)。
--その上ライセンスまで自作したから「なんだこいつは必要不必要に関係なく、何でもかんでも自作したいだけの車輪の再発明屋なんじゃないか」と思われてもしょうがないと思う。なんというか、いかにもガキっぽいというか、子供っぽく見えただろう。「大言壮語しているだけの分かってない人」に見えても仕方ない。僕だってTHE-BBLを初めて見たときは、「おいおい大丈夫なのか、この人たちは。最後までちゃんとできるのか?」と思った。きっと僕もそんな風に見えたのだと思う。そういう第一印象なのは、決して批判者のせいじゃない。僕のせいだ。 --その上ライセンスまで自作したから「なんだこいつは必要不必要に関係なく、何でもかんでも自作したいだけの車輪の再発明屋なんじゃないか」と思われてもしょうがないと思う。なんというか、いかにもガキっぽいというか、子供っぽく見えただろう。「大言壮語しているだけの分かってない人」に見えても仕方ない。僕だってTHE-BBLを初めて見たときは、「おいおい大丈夫なのか、この人たちは。最後までちゃんとできるのか?」と思った。きっと僕もそんな風に見えたのだと思う。そういう第一印象なのは、決して批判者のせいじゃない。僕のせいだ。
--しかしよく見れば、再発明に留まってはいないことは明白なのだ。だからこの時期にOSASKを正しく評価できていた人は、見る目がある人なんだと思う。 --しかしよく見れば、再発明に留まってはいないことは明白なのだ。だからこの時期にOSASKを正しく評価できていた人は、見る目がある人なんだと思う。

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