1: 2008-12-11 (木) 05:22:16 |
2: 2008-12-11 (木) 06:58:06 |
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| -[[hist/devj]]を書いていたらOSASK限定でもっと詳しいものを書きたくなった。ついでにかなり[[K]]の反省会じみたものも含めている。 | | -[[hist/devj]]を書いていたらOSASK限定でもっと詳しいものを書きたくなった。ついでにかなり[[K]]の反省会じみたものも含めている。 |
| + | -かなり順不同で編集しているので、あれこれモレがあってもしばらくは気にしないでほしい。特にコミュニティに参加してくれた人々については、調査不足でどこに書いたらいいか分からなくて書けないでいる人多数(時間ができたら少しずつ調べます・・・)。 |
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- | - | + | -1996年: |
| + | --「V98」の配布のサポートを主な目的として川合堂設立。最初に伊藤哲也氏(mone氏)が、続いて橋直行氏が参加(単に[[K]]が頼んだとも言う)。 |
| + | ---伊藤氏はwebをもてない[[K]]に変わってホームページを作成・管理したほか、OSASK-MLの管理・運営にも大きく貢献。橋氏はOSASKの設計思想を一般向けに説明する試みや過去の資料の整理などで大きく貢献。伊藤氏はTOWNS出身。 |
| + | --10.21(月)に「OSASK」という語が初めてインターネット上にあらわれた。V98のサポートメールの中でOSASKの開発構想を発表。 |
| + | --今原修一郎氏(ODP氏)がOSASK計画に自発的に参加。すぐに主力開発者の一員に。 |
| + | ---今原氏はその後も長くOSASK界で活躍。特にASKAの提供とOSASK-IRCのサーバ提供は特筆に値する。TOWNS出身。 |
| + | --今にして思えば、今原氏の突然の参加でOSASK計画は1年は開発期間が短縮できていると思う。しかしあの状況(=ほとんど何も分からない状況、評価の材料はV98くらいなもの)でいきなり参加したいと申し出るとは、本当に奇跡的だった。 |
| + | -1997年: |
| + | --OSASK-MLの元になった一連のメールのやり取りが始まり、やがてOSASK-MLが始まる。ただしこの時点では非公開。 |
| + | --09.01(??)にOSASKの前身となるOTASKの開発を開始。これは公開されなかった。TOWNS版しかなかった。主に実験・研究用。 |
| + | --この年は水面下ではあれこれやっているものの、あまり目覚しい成果はない。 |
| + | -1998年: |
| + | --今のところ特筆すべきことなし。 |
| + | -1999年: |
| + | --01.21(木)にOSASKのページができる。 |
| + | ---詳細は調べていないのでよく分からないが、要するに[[K]]がimasyに入って、やっと自力でwebページをもてるようになったのだろう。それで調子に乗って書いたのだと思われる。 |
| + | --04.15(木)にOSASK-MLが公開MLになった。 |
| + | --徐々に体裁が整ってきたようだ。 |
| + | -2000年: |
| + | --05.01(月)にOSASK ver.0.0が公開された。しかしこのときはソース非公開。この後ほぼ1ヶ月おきにリリースされる。 |
| + | ---この定期的なリリースは非常に評判がよかった(手間はかかったが)。新規にオープンソースプロジェクトをやろうという人がいるなら、これはおすすめできる。ただし時間はそれなりにとられる。 |
| + | --12.30(土)にKL-01の説明文をリリース。たぶんこの直後にOSASKをオープンソース化したのだろう。 |
| + | -2001年: |
| + | --02.11(日)に「オープンソースまつり 2001 in 秋葉原」でOSASKを紹介。まあまあウケた。 |
| + | --03.16(金)に月刊誌「ゲームラボ」で紹介された。 |
| + | --05.11(金)に2ちゃんねるにOSASKのスレッドができた。 |
| + | --10.28(日)にSlash Dot Japanではじめて言及された。確かEOTAの記事の中のだったと思う。 |
| + | ---これをみてhideyosi氏やnisi氏がコミュニティに参加。hideyosi氏は後にOSASK-MLの管理やマスコットのデザイン、OSASK-Wikiの管理など数多くの貢献をした。nisi氏はOSASK界にwikiをもたらし、これがdev-j界全体にwikiを普及させるきっかけとなる。またバナーの作成や、メールマガジンの発行などでも貢献。またnisi氏つながりでrireさんもコミュニティに参加。おそらく初の女性メンバー。これはdev-j全体で見ても極めてまれなこと。 |
| + | --この年はあちこちでOSASKが言及されるようになった年である。当然批判もたくさんあった。・・・思い返してみれば、そもそも僕は無知で無謀で楽天的だった。つまりOSを作ることがどれほど大変で、先人たちがどのくらい苦労しているかなんて全然知らなかった。しかも不遜だったので、それを指摘されても調べる気もなかった。・・・全部過去形で書いているが、今だって相変わらず無知で無謀で楽天的で不遜である。そうでなければ独自性のあるOSの自作なんて続けられるわけがない(笑)。 |
| + | --その上ライセンスまで自作したから「なんだこいつは必要不必要に関係なく、何でもかんでも自作したいだけの車輪の再発明屋なんじゃないか」と思われてもしょうがないと思う。なんというか、いかにもガキっぽいというか、子供っぽく見えただろう。「大言壮語しているだけの分かってない人」に見えても仕方ない。僕だってTHE-BBLを初めて見たときは、「おいおい大丈夫なのか、この人たちは。最後までちゃんとできるのか?」と思った。きっと僕もそんな風に見えたのだと思う。そういう第一印象なのは、決して批判者のせいじゃない。僕のせいだ。 |
| + | --しかしよく見れば、再発明に留まってはいないことは明白なのだ。だからこの時期にOSASKを正しく評価できていた人は、見る目がある人なんだと思う。 |
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