ページへ戻る

− Links

 印刷 

GUIGUI01​/memo11 のバックアップ差分(No.4) :: OSASK計画

osaskwiki:GUIGUI01/memo11 のバックアップ差分(No.4)

« Prev[4]  Next »[5]
3: 2008-12-08 (月) 14:55:11 ソース[6] 4: 2009-11-17 (火) 12:08:35 ソース[7]
Line 21: Line 21:
-ということで、エミュレータ周りを作るのは相当後回しになった。エミュレータ部分を本格的に作り始める前に気付いて本当によかったと思う。より重要で価値あるものを優先することができたのだから。 -ということで、エミュレータ周りを作るのは相当後回しになった。エミュレータ部分を本格的に作り始める前に気付いて本当によかったと思う。より重要で価値あるものを優先することができたのだから。
-そして今やっている「ぐいぐい01」は、まさに(僕の価値基準から見て)継承に値するソフトウェアをつくり、efg01によって継承させている(継承可能なことを証明している)段階といえる。 -そして今やっている「ぐいぐい01」は、まさに(僕の価値基準から見て)継承に値するソフトウェアをつくり、efg01によって継承させている(継承可能なことを証明している)段階といえる。
 +----
 +-これに関連して僕には少々言いたいことがある。OSASKのエミュレータ方針はかつてかなり批判された。しかしその批判の中には「APIの互換性の重要性はわざわざエミュレータを用意しなければいけないほどには重要ではない」とか「そもそもエミュレータを用意してまでして利用するに値するアプリなんてほとんどない」とかいう指摘は一つもなかった。いやもちろん、当時の僕にそんなことを言っても僕はきっと反論しただろう。しかしそれでももし一人でもそういう人がいれば、今になって、あの人の言ったことは正しかったと認めることができる。でもこの件に関してはそういう人がいない。これはすごく大事なことなのに。
 +-結局批判する人もたいしたことはないということなのだろう、少なくともこの件に関しては。
---- ----
-「ぐいぐい01」がとてもうまくいっているが、おかげでkhabaを設計するための基礎が出来上がってきたように思う。来年は今年に引き続き「ぐいぐい01」に熱中することになると思うが、再来年ならkhabaに着手できるかもしれない。khabaができれば完全に、「一度書いたアプリはどこでも動く」が達成できる(「どこでも使える」ではない。動くには動くが、遅くて使えないという可能性もCPUによってはありうるので)。khabaが要求するハードウェアスペックは非常に単純なので、僕でもCPUを設計できるかもしれない(ページングもセグメンテーションも要らない(それはkhabaが速度の低下をほとんどなしにカバーできる)、割り込み機能もいらない(同)、CPUのビット数もなんでもいい(同)、レジスタ数もなんでもいい(同)、キャッシュ制御もいらない(同))。考えただけでもわくわくする。つまりkhabaは単なるjavaもどきであると同時に、CPU設計を互換性や既存の常識から開放し、より柔軟で大胆な設計を許す。 -「ぐいぐい01」がとてもうまくいっているが、おかげでkhabaを設計するための基礎が出来上がってきたように思う。来年は今年に引き続き「ぐいぐい01」に熱中することになると思うが、再来年ならkhabaに着手できるかもしれない。khabaができれば完全に、「一度書いたアプリはどこでも動く」が達成できる(「どこでも使える」ではない。動くには動くが、遅くて使えないという可能性もCPUによってはありうるので)。khabaが要求するハードウェアスペックは非常に単純なので、僕でもCPUを設計できるかもしれない(ページングもセグメンテーションも要らない(それはkhabaが速度の低下をほとんどなしにカバーできる)、割り込み機能もいらない(同)、CPUのビット数もなんでもいい(同)、レジスタ数もなんでもいい(同)、キャッシュ制御もいらない(同))。考えただけでもわくわくする。つまりkhabaは単なるjavaもどきであると同時に、CPU設計を互換性や既存の常識から開放し、より柔軟で大胆な設計を許す。
« Prev[4]  Next »[5]