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guidelines のバックアップ差分(No.12) :: OSASK計画

osaskwiki:guidelines のバックアップ差分(No.12)

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11: 2006-04-30 (日) 14:30:51 ソース[6] 12: 2006-05-01 (月) 06:47:54 ソース[7]
Line 1: Line 1:
-* OSASKに関する各種ガイドライン+* [[K]]向けのOSASKに関する各種ガイドライン
-(by [[K]], 2006.04.29) -(by [[K]], 2006.04.29)
 +-これは主に[[K]]に対する場合のみのガイドラインではないかという指摘がありました。確かにそのとおりだと思います。それでタイトルを少し変えました。
*** 歴史 *** 歴史
Line 35: Line 36:
-要望が受け入れられなければ、自分で作りましょう。「はりぼてOS」から出発すれば、いつかはできるはずです。自分で作る気もないくせに安易に要望するなんて、その程度の情熱ではそもそも僕が興味を持つはずないです。要望するだけやぼです。あきらめましょう。 -要望が受け入れられなければ、自分で作りましょう。「はりぼてOS」から出発すれば、いつかはできるはずです。自分で作る気もないくせに安易に要望するなんて、その程度の情熱ではそもそも僕が興味を持つはずないです。要望するだけやぼです。あきらめましょう。
-*** 用語・矛盾+*** 客観的・主観的 
 +-○○するべきだとか、○○なのは間違っているとか、そういう言い方はできるだけ客観的な事実について使いましょう。独りよがりの意見とも思える状況で、それがさも一般的な事実のように語ってしまうと、僕はかなり割り引いて読みます。 
 +-これをむしろ逆に、「私は○○がいいと思うのだ、でもうまく説明できないからたぶんまだこの良さは分からないかもしれない、でも信じてくれ」とか、「私が全責任を取るからやってくれ、お願いだ」というのには、強く心を動かされます。そこまで言うからには、うまく説明できないだけで、並々ならない確信があるんだろうと思うわけです。それならそれに賭けてみてもいいかなと、まずは前向きに検討するわけです。もちろん、心にもないことをうわべだけで言っているのはダメですよ。 
 +-理論的な物言いのほうが魅力的だと思う人もいるかもしれませんが、僕にとってはただの責任逃れです。つまりもしその人のいう通りでなかった場合、それは理論を信じた僕の責任なのであって、提案者は私のせいじゃないもん、と言いそうな雰囲気が感じられてしまうのです。 
 +-十分に客観的な説明ができているのに、それにもかかわらず主観的な形式で力説されたりしたら、僕への説得力は最高になるでしょう。 
 + 
 +-これだけだと抽象的過ぎて分からないかもしれません。学校の制服に関する理不尽な細かい校則を生徒が廃止してほしいと思っている場合を想定してください。・・・「表現の自由だの、個人の人格の一部だの、かくかくしかじかの根拠により、この校則は間違っているので撤廃すべきなのだ」と先生に向かって言うのと、「先生お願いです。この校則をなくしてください。この校則がなくても私たちは10年前の先輩のようなめちゃくちゃな制服を着たりはしません。節度ある範囲に収めることを約束します。だからどうかチャンスをください」と言うのとどちらが説得力があるかと思うかです。 
 + 
 +*** 用語・誤解・矛盾 
 +//他の人の説明が間違っている可能性
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