ページへ戻る

− Links

 印刷 

guidelines のバックアップソース(No.21) :: OSASK計画

osaskwiki:guidelines のバックアップソース(No.21)

« Prev[4]  Next »[5]
* [[K]]向けのOSASKに関する各種ガイドライン
-(by [[K]], 2006.04.29)
-これは主に[[K]]に対する場合のみのガイドラインではないかという指摘がありました。確かにそのとおりだと思います。それでタイトルを少し変えました。

*** 歴史
-なんでこんなページが必要になったのか

-今まではこんなページがなくてもそれなりにうまくいっていました。しかし最近は質問の質、要望・提案の質が落ちているように思います。だからここに書いておきます。
-以前は、どんな質問でもいいよ、どんな要望でもいいよ、と寛大(?)な対応をして、親しみやすい態度を取ってきました。初めのうちはこれでもとてもうまくいっていました。質問者はていねいで遠慮がちだったのです。でも今はずうずうしい人の割合が上昇して、もう寛大な対応を取らないほうがいいかもしれないと思うレベルになってきました。

*** 質問と回答
-質問するときは
--質問する前に自分で調べましょう。知りたい事柄と OSASK をAND検索するとgoogleでも結構見つかります。
--あなたが質問をするということは、そして誰かが回答するということは、回答者の時間を消費させる行為です。それを肝に銘じて既出の質問はできるだけしないようにしましょう。その一方で、有益な質問は後の人のために役立ちます。ですから有益な質問は遠慮なくしましょう。
--質問する前に3日くらいは調べたり考えたりしてほしいです。回答をもらったときに、それがどんなにそっけなくて否定的な内容だったとしても、ああわかってよかったと回答者に感謝できるような気持ちでないのなら、まだ質問しないほうがいいです。
--本当にわからなくて知りたいことを聞くのはいいことですが、質問の形を取った要望や不満の表明や提案は不誠実な行為だと思います。また相手の回答によって揚げ足を取ろうとか、追い詰めようという態度もかなり悪いです。回答者はあなたと言葉遊びをして無駄な時間を過ごすつもりはありません。言いたいことを適切な形で分かりやすくまとめましょう。それができないのならできるまで発言を控えるべきです。
--回答が得られたら、その恩を何かの形でいつか返そうという気持ちが必要だと思います。同じ質問をする人がいたら今度は自分が答えようと思うとか、何か別の形でもいいのでOSASKに貢献しようとか。
--質問しても結局回答が得られないこともありえます。僕は今まではそういうことがないようにできるだけ気を配ってきましたが、これからは気を配りません。

-回答するときは
--既出の質問であるときは、○○に書いてあります、と示せれば最高です。それで質問者はどこを読めばよかったのかを知ることができ、次回の質問時にはそこも検索してからにするでしょう。既出なのに、出典を示すことなく内容を回答してしまうのは、取りあえずはいいですが、やや残念なことです。とりあえず誰かが内容について返答して、その後でまた別の誰かが出典を明らかにするということでも構いません。
--思い込みでの回答はできるだけやめましょう。○○すればよいと偉そうに書いてあるのに、そのとおりにしてもうまくいかなかったりすると、すごく恥ずかしいです。

*** 要望に関して
-以下の典型的な要望・質問はほとんど意味がないかもしくは逆効果です。
--開発を早くしてください、期待しています、がんばってください、予定はいつですか?
--これらの質問はたいていは僕にプレッシャーをかけるだけです。もっとのびのびとやらせてください。・・・早くしろなんていわれなくても早くしようと思っています、心痛を与えるだけです。・・・僕は誰にも期待されていない状態のほうが、むしろ「今に見ていろ」とがんばるタイプかもしれないくらいです。・・・いわれなくてがんばっています。むしろがんばっていないように見えているのかと、落胆するだけです。・・・予定なんか知りません。どうせ守れない予定を聞いて意味ありますか?それとも何かに間に合わないと困るのでしょうか。それならいつですかではなくて、理由とセットにして○○までにできそうですか、と聞いてください。まあそれでもそのとおりにできるかどうかは分かりませんが。
--多分この手の発言を目にしなくなる、耳にしなくなるだけで、開発速度は2倍になります。
--もし本当に僕の開発を早くしてほしいと思っているのなら、こういう発言した人を見つけたら注意しておいてもらいたいくらいです。

-あなたがあなたの希望を言って、それで感謝される時代はもう終わりました。今はいかなる要望もうんざりさせるだけになっています。OSASKはこうすればもっとOSASKらしくなれると思います、みたいな提案のみ歓迎されます。こうしたら便利だとか、こうしたら自分の用途にも合うとか、そんなのは聞きたくないです。聞きあきました。
-ただこういう要望なら聞きます。OSASKのこの長所はすごくいいと思う、これは他ではなかなか手に入らない、だからこれにあとちょっとだけこれを足してくれたら、こんなすてきなこともできるようになりそうなんだ、ホラホラ考えてみてよ、すてきでしょう?・・・と熱く語ってくれてそれで僕が引き込まれれば、それはあなたの勝ちです。多分ほっといても僕はのめりこみます。

-OSASKの基本理念を無視した要望は最低です。僕はたぶん無視します。
-そんなOSに需要はないとか、こうすればもっと需要が伸びるとか、時代遅れだとか、その手の要望も全部いりません。どうぞOSASKのことは忘れて他のOSをお楽しみください。僕は僕の観点で見てよいOSにすることには熱心ですが、一般ウケを狙うようなことには興味がありません。

-要望が受け入れられなければ、自分で作りましょう。「はりぼてOS」から出発すれば、いつかはできるはずです。自分で作る気もないくせに安易に要望するなんて、その程度の情熱ではそもそも僕が興味を持つはずないです。要望するだけやぼです。あきらめましょう。

*** 客観的・主観的
-○○するべきだとか、○○なのは間違っているとか、そういう言い方はできるだけ客観的な事実について使いましょう。独りよがりの意見とも思える状況で、それがさも一般的な事実のように語ってしまうと、僕はかなり割り引いて読みます。
-これをむしろ逆に、「私は○○がいいと思うのだ、でもうまく説明できないからたぶんまだこの良さは分からないかもしれない、でも信じてくれ」とか、「私が全責任を取るからやってくれ、お願いだ」というのには、強く心を動かされます。そこまで言うからには、うまく説明できないだけで、並々ならない確信があるんだろうと思うわけです。それならそれに賭けてみてもいいかなと、まずは前向きに検討するでしょう。もちろん、心にもないことをうわべだけで言っているのはダメですよ。そんなのはすぐに分かります。
-理論的な物言いのほうが魅力的だと思う人もいるかもしれませんが、僕にとってはただの責任逃れです。つまりもしその人のいう通りでなかった場合、それは理論を信じた僕の責任なのであって、提案者は「私のせいじゃないもん」と言いそうな雰囲気が感じられてしまうのです。
-十分に客観的な説明ができているのに、それにもかかわらず主観的な形式で力説されたりしたら、僕への説得力は最高になるでしょう。

-これだけだと抽象的過ぎて分からないかもしれません。学校の制服に関する理不尽な細かい校則を生徒が廃止してほしいと思っている場合を想定してください。・・・「表現の自由だの、個人の人格の一部だの、かくかくしかじかの根拠により、この校則は間違っているので撤廃すべきなのだ」と先生に向かって言うのと、「先生お願いです。この校則をなくしてください。この校則がなくても私たちは10年前の先輩のようなめちゃくちゃな制服を着たりはしません。節度ある範囲に収めることを約束します。だからどうかチャンスをください」と言うのとどちらが説得力があるかと思うかです。

*** 用語・誤解・矛盾
-ライセンスやルールなどのあなたの権利を保障するための文章は以下の説明から除外です。

-OSASKの説明などで適切な用語が使われていないせいで分かりにくいものがあるでしょう。それについて、これは○○と同じですかという質問や確認があるかもしれませんが、それはあなたが○○をどう認識しているかによるような場合が多く、たいていは不毛な質問になってしまいます。あなたにとって同じように思えるのなら同じかもしれません。
-とにかく重要なのは用語ではないのです。内容なのです。内容を理解するために他の専門用語との比較で考えるのも悪くはないですが、それよりはもっと素直に内容で分からない部分を聞きましょう(分からない部分があるのなら)。

-OSASKを紹介してくれているページの中にたまに間違いを見つけることがあります。引用ミスもあります。以前はそういうものについては間違いを直してもらえるようにお願いをしてきましたが、多分これからはほとんどしません。それを読んで間違った理解をして、それを根拠に批判する人が出てくるのも時間の問題だと思います(兆候はあります)。とりあえずそういうことがありうるので、批判したいなら批判する前に元の発言を探して確認しましょう。これでただの空振りを減らすことができます。

-僕は自分の考えを一生懸命に説明しようとしていますが、間違えて書いてしまったり、うまく説明できずに誤解を与えてしまうような記述にとどまっているかもしれません。そのときに優先されるのはもちろん僕のもとの考えであって、記述された内容ではありません。
-考察が進んで途中で考えが変わることもありえます(そんなに頻繁にはないと思いますが)。その場合は申し訳ありませんが、後のほうの見解が優先です。

*** 理念
-OSがなすべきこととアプリがなすべきことを分離します。仮想化を重視して、そのせいでアプリを作る上で不便が生じても問題視しません。だからたとえばOSASKアプリはCPUID命令を実行するべきではありません。これはCPUID命令が特権命令かどうかというレベルの問題ではなく、そもそもアプリがCPUの情報を直接得なければいけない情報のほうが問題だという意味です。CPUによって動作を変えるのではなく、ユーザからの設定によって動作を変えるべきです。画面解像度についても同様なので必ず全画面になることを保証できません。
--これだとベンチマークソフトとかが作りにくくなるとはいえますが、OSASKの理念としてはそんなまともで正確なベンチマーク機能の提供はアプリの仕事ではなくOSの仕事なので、システムアプリケーションというシェルの拡張機能によって実現されるべき機能なのです。
-できるだけ負荷を減らします。これは今までは486や386などのレガシーマシン向けのためと説明されており後ろ向きだと評されてきましたが、もうこの批判はあたりません。というのは、目下の構想ではもはやx86はメインターゲットではないので、組み込みCPUをも視野に入れた場合、負荷は軽ければ軽いほど利用の幅が広がるからです。組み込み用CPUを視野に入れるようになったのは、低スペックなCPUであれば僕でも十分に入手可能だと理解できたからです(今まではPCやMac以外のCPUは性能の割に高価なものしかないと思い込んで、そんな入手が難しいCPUのためにOSなんか作っても自分では使えないと思っていたのです)。
-僕にとって最近のAT互換機の処理能力の必要性は理解しがたいものがあり、たとえば3GHzのCPUだとかものすごい処理能力のGPUだとかがあっても、それらの能力を使い切ってやらせたいと思うことが一つもありません。それよりは、ARM7でOSASKがどうにかこうにか動くとか、8086のリアルモードのままでもOSASKが動くとか、そういうことのほうがずっと楽しいです。これで僕のやりたい普段の処理が安価な機器で、そしてはるかに小さい電力できる可能性がでてきます。1Wでできるような処理のために100WのPCを使うなんて僕には馬鹿らしいです。

*** OsaskWikiと自分のホームページ
-みなさんそれぞれ自分のホームページやブログをもっていると思いますが、OSASKに関することはできるだけOsaskWikiの個人ページにも反映させることをお勧めします。なぜならOsaskWikiなら更新したページがすぐに分かり、巡回しなくても更新に気づけるからです。自分のサイトにコンテンツを置いて、OsaskWikiに更新履歴のコピーを置くというのがいいかもしれません。
-僕がK-KiwiよりもOsaskWikiの[[K]]ページをよく使うのはそのためです。

*** 性善説的ルール




//理念にけちつけるのはよい
//理念を理解しようとしないのもダメ
//特に理念の背景を理解せよ

« Prev[4]  Next »[5]