ページへ戻る

− Links

 印刷 

guidelines のバックアップ差分(No.32) :: OSASK計画

osaskwiki:guidelines のバックアップ差分(No.32)

« Prev[4]  Next »[5]
31: 2006-05-02 (火) 12:49:44 ソース[6] 32: 2006-05-02 (火) 19:21:31 ソース[7]
Line 36: Line 36:
-要望が受け入れられなければ、自分で作りましょう。「はりぼてOS」から出発すれば、いつかはできるはずです。自分で作る気もないくせに安易に要望するなんて、その程度の情熱ではそもそも僕が興味を持つはずないです。要望するだけやぼです。あきらめましょう。 -要望が受け入れられなければ、自分で作りましょう。「はりぼてOS」から出発すれば、いつかはできるはずです。自分で作る気もないくせに安易に要望するなんて、その程度の情熱ではそもそも僕が興味を持つはずないです。要望するだけやぼです。あきらめましょう。
 +
 +*** 要望(2)
 +-あなたの要望が僕の心に響かずに、相手にされないことがあっても、あきらめるには早すぎるかもしれません。実験してやってみせればいいのです。口先だけで言うのとは比べ物にならない説得力がありますし、そもそもそこまでして説得しようという態度は僕の心に響きます。というかまあ、要望が拒否された後にそれすらできない場合は、「なんだ結局その程度の要望だったのか」と僕に思われて終わりかもしれません。
 +
 +-よく分からないと思うので、もう少し具体的に言いましょう。OSASKに新しい機能をつけてほしかったとして、僕が断ったら、あなたはその機能の一部を実際につけてしまえばいいのです、OSASKを改造して。そしてそれを僕に見せればいいのです。ほら、こんなわずかな変更でこんなに便利になった。だから残りの機能もつけようよ、と。OSASKの改造が困難なら、「はりぼてOS」の改造でもいいのです。とにかく僕のような想像力の乏しい頑固なわからずやには実際に見せないとダメなのです。
 +
 +-もう一つのケースとして、2006.05.02現在で話題になっているOsaskWikiのページ書き換え権の解放問題を考えてみます。この文章をここに書いている段階では、ルールを改正したら気分がよくなる(重苦しくなくなる)という僕にとっては評価しにくいご利益と、ページの内容は今よりも改善されるだろうという絵に描いたもちが示されています。僕としてはこの段階では自分の理念(一つのページを複数の人がいじると読みにくくなることのほうが多い)を曲げる気にはなれませんでした。
 +-そうであれば、提案者が自分の主張をことさらに説明するのは、単に理念を無視した要望の出し方でしかなく、それ以上やっても無視されるだけなのです(上記参照)。管理しその責任を負うものとただの提案者が同列であるというのは結局は幻想です(もちろん可能な範囲ではこの幻想を守りたいと僕は思いますが)。提案者は責任者を説得しなければ提案を受け入れてもらえませんが、責任者には提案者を説得しなくても提案を棄却できるのです。その代わり結果に対する責任を負うのです。提案者には原則として責任はありません(本人が言い出さない限りは)。
 +-だからやって見せるのがいいとおもいます。このページはみんなで編集することによってもっと改善されると思われるページがあるのなら、そのページをコピーした別のページをつくり、そこにはみんなで編集可ということを明記して、それでそのページがみんなでメンテナンスされてよくなっていく過程を責任者に見せるしかないのです。
 +-この場合はスムーズに実証試験をすることができますが、内容によっては実証試験が原稿ルール下では困難かもしれません。そういう時は、責任者に実証試験ができるようにする環境を要求しましょう。僕が責任者だったらそういう意欲的な提案には、できるだけ譲歩しようとすると思います。
*** 客観的・主観的 *** 客観的・主観的
« Prev[4]  Next »[5]